父のこと

今日の産経新聞の一面

在宅死―あの人らしいかな

連れ添った伴侶だから分かる

生き、逝く―在宅死という選択  1

 今なお収まらない新型コロナウィルス禍は、日本人の死生観にも深く影響を与える。

すべての団塊の世代が75歳以上の後期高齢者となる2025年問題を目前にし、日々

平均して4千人近くが亡くなる多死社会となった今、最期を迎える場所を病院から自宅へ移そうとする動きが緩やかに広がる。新生在宅医療・介護元年から10年となる今年

在宅死の課題を考える。

 父のことをおもいだしました。母が入院して、家で一人になったので

明日のごはんどうしよう、って相談してとりあえず、お昼お弁当買ってきてって言われて「じゃあしたね」って次の日お昼もっていったら、もう冷たくなってて

え?そんな廊下で寝てたら風邪ひくよ‥と思ったら動かなかった。そして固かった

まず、救急車だと思って電話して、父が動かないんです、家の場所聞かれて

どんな状態か聞かれて、冷静な自分は状態って「死んでるよ」でも、認めたくない自分もいてて、救急車が来てくれて、向こうも観たらすぐ分かりますから 何もできないんだと分かっただろうに 心電図を当ててくれて動かない事を見せてくれて優しい人たちでした。そして「警察にはここからいいますから」といわれて警察にいうんだと思いました。家で一人で死んだときは、事件性がないかどうか警察が調べるらしいです。

寝るために、ポットにお湯をいれてベットに持っていく途中で倒れたんだなって

良くわかる状態で寝てるような顔で苦しくなかったんだな。

急に死が来たから自分でもびっくりしたと思う。お葬式終わってから初七日まで

の間に、羽虫になって家に居ました。母は病院にいてるし、妹は旅行の予定が入ってて

実家で一人だったので、私と、父の二人っきり羽虫ですけどねえ。ずっと、納骨の箱から離れなかったし、玄関の窓から外観てたし、最後は父が死んでいた廊下の同じ場所で動かなかった。さすがにパニックになった私がどうしよって妹に電話したよ。そしたら

庭の柊に埋めてあげたらどうかって言ってくれて、落ち着いたけど本人を見たときよりもパニックになって、落ち着いたらじぶんで可笑しかった。次の法事の時には

蟻になって父はきました。段々小さくなっているなって可笑しかった。

父は戦争に行ってロシアで捕まってたらしいです。でも、帰ってきて母と出会て二人の子供の父になって、ずっと経理の仕事して、定年後は、趣味で暮らしていけてどう思ってたんだろうな,静かな人だったしもっと話したらよかったと今になって

後悔します。いつもいてると思ってたから考えたらそんなこともないのにね。

 

昨日したこと

図書館に行って新しく本かりました。図書館の企画で紅白の本っていうスペースがあって白い表紙の本と、赤い表紙のほんがずらって並んでて赤をかりたら、中の字まで赤くってビックリしました。いろんな本を作ってるんだね。本の中身はまたこんど。